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Readioheadの”Kid A”の音楽性を考察してみる: 今日の洋楽ディスクレビュー

どうもみなさんこんばんはー

今回は言わずと知れたレビュワー泣かせ(笑)の名盤、レディオヘッドの「キッド A」についてレビューというか考察というかそんな感じでやっていきたいと思います。(語彙力)

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アルバム概要

このアルバムはそれまでのギターロックのスタイルを一新し、電子音楽の要素をふんだんに取り入れて良くも悪くも全く革新的に仕上げ、ロック史でも最大級の賛否両論があるアルバムとも言われます。

「商業的自殺」とまで言われたこのアルバムですが、以外にも世界で400万枚以上を売り上げるなど、大衆にもウケたようです。

 

考察

まず個人的には、このアルバムあまり好きではないです。ただ、駄作だから好きではないという意味ではなく、完成度はかなり評価できるアルバムではあるが、その振り切った音楽性が自分の好みとするタイプではないという意味です。

 

音楽性についてですが、これは確実にロックではありません。では何かといわれると困るのですが、クラシックの流れを継ぐある種マニアックな現代音楽の一ジャンルとして考えるのが一般的でしょう。 

一般的にロックでは、ドラムとベースが下支えし、ギターとボーカルが前でメロディを奏でるといったスタイルですが、この様式はこのアルバムには馴染みません。トムヨークのボーカルも含めてすべての「楽器」が、全体の曲をなす一要素となっているのです。

それゆえこのアルバムでは、ボーカルも含め、何かの音に耳を傾けてはいけないのです。ベースラインを聴こうとするのもシンセのメロディを分析するのも意味がありません。ちょうどそれは、交響曲を一つの楽器に注目して聴くようなものです。この聴かせ方からも、クラシックの流れを継ぎ現代的に表現した、まさに現代音楽と捉えられるべきです。

 

一方で本人達はこのアルバムを、スノビズムに満ちた現代音楽のものとしてではなく、「ポップレコード」として主張しています。この主張は「キッド A」の商業的成功を見ると確かに納得できます。しかし、このアルバムを購入し聴きこむ大衆のなかで一体どれだけの人が一聴して「ええアルバムやぁ~」と思ったことでしょうか。大抵は頭の中にクエスチョンマークを浮かべながらもうんうん頭を捻らせてなんとか価値を見出したことでしょう。

 

私はこのアルバムを、レディオヘッドからマスへのある種の挑戦状だと捉えます。一部のマニアに向けてではなく、あえてマスに向けてやや難解ともいえる曲を作り、ジャンクフードみたいな曲ではなく、自分の頭で考え解釈し聴きこむ必要がある曲を鑑賞する能力がまだ大衆に残っていると示したのです。大衆に挑戦状を叩きつけ、それを大衆が商業的成功という形でクリアし、アーティストや評論家の「大衆に対するなめた見方」を改めさせたとも言えるでしょう。つまり、レディオヘッド的進歩した大衆観からすれば、このアルバムはもちろん大衆ウケするポップアルバムなのです。

 

事実、2000年以降のインディーシーンでは、Kid A以前では「商業的自殺」と呼ばれていたであろう作品が大衆それ自体と大衆観の変遷によって続々と登場し、成功を収めています。これも「キッド A」の音楽性による大衆教育の成果でしょう。

 

以上、私の「キッド A」論、いかがでしたか?

あのアルバムあんまり聴いてないな~なんて方は久々に聴いてみて、彼らの挑戦に立ち向かってみてはどうでしょうか。