石左が嫌いな人とお友達になりたいな
石左という名前を聞いた瞬間にもう「嫌いだ」と思った。
溢れ出る「わかってますよ」感。頑張って知性を滲ませようとしているのが透けて見えて痛々しい。
とまあ冗談はここまでにして
自分は育ちが良いのでこれ以上他人を偏見に満ちた侮辱をする事はいたしません。誰かと違って。
まず石左という男を最もわかりやすく表現しているのがこの記事だ。
タイトルは「おいしくるメロンパンが嫌いな人とお友達になりたいな」
https://basement-times.com/oisiclemelonpan/
まずもって何様だ。まあしかし、おいしくるメロンパンはバンドのキャラクター云々からうすら寒さを感じるのはわかる。タイトルの「お友達になりたいな」の部分から猛烈な気持ち悪さを感じるがぎりぎり許そう、育ちが良いので。
罵詈雑言の嵐
読んでもらえばわかるがこの記事ではひたすら石左がおいしくるメロンパンとそのファンをギチギチにディスっている。嫌いなら嫌いどうし関わらなければいいものをあえてボロクソに叩くオナニー行為とそれによってPVを稼ごうというコンセプトがまず無理だ。
しかもBASEMENT-TIMESの石左といえばかなりの影響力のあるライターであり、にもかかわらず不特定多数を傷つけるオナニーをしているのは本当に気が知れない。居酒屋で周りの陰キャ友達と言ってろそういうことは。
とはいえ石左のディスの才能は圧倒的で、いちいちちょっと共感できてしまうのがまた癪に障る。ただこれらの言葉はさすがに調子に乗っているとしか思えない。
僕なんか育ちが良くてお上品ですから、こんなこと言いたくはないんですけどね。言葉選ばないでいいならもうSNSの公衆便所ですよ。あなた方は。SNSに渦巻く男性性欲を一手に引き受けるSNSオナホール。デジタル膣だよ。マジで。
どうかしているのか?
さすがに冗談で済まされるレベルの偏見ではない。多分彼はSNSでそういう女を抱こうと思ってDMを送って相手にされなかった過去がありそれを未だに引きずっているのだろう…
なぜ石左という男が嫌いか
言っておくと自分もおいしくるメロンパンは嫌いだ。しかし彼らの事が好きな人に対して何か嫌悪感を抱いたり自分の方が優れているといった感覚は抱かない。
なぜなら、感性というものに優劣はない。というよりむしろあってはならないからだ。もしそんなものがあるとするなら人間はすべて皆々、高尚な歌を好み難解な絵を理解出来なければいけないという事になる。確かに芸術的創作品そのものに好き嫌いを超えた客観的な優劣をつける事は出来るだろう。しかしその鑑賞者に関しては優劣など存在してはならない。例えば石左もコンビニのメロンパンを食べている時にメロンパンの有識者に「そんなメロンパン食べられるとかどうかしてるね、さすが陰キャ君(笑)」なんて言われたら「ほっといてくれ」と思うはずだ。
ベートーヴェンがおいしくるメロンパンに対して「俺の方がすげえ」という事は出来るが、ベートーヴェンを聴いている奴がおいしくるメロンパンを聴いているやつに「俺の方がすげえ」という事は出来ないのだ。そんな事をしていいのは中学生までで、まともに大人になった人間はそんなことしてはいけない。
とはいえ…
クラスのみんなと馴染めず皆が知らない音楽を知っている事だけが自尊心の拠り所で、「最後のクラス会に来ない俺かっけー」と思いながらも本当はみんなと仲良くしたいと思っていて、結局クラスのみんなにはクラス会に来なかった事すら気づかれなかったであろう陰キャ石左君はその生い立ちから深刻な中二病を背負っていて、いまだに克服できていないらしいのでしょうがないか…つくづく哀れな男である…
石左の場合は「文才」という確固たる武器でフォロワーを作った。すなわち「いっぱいいる俺の嫌いな奴らにとびつかせる」ことが出来た。「めっちゃ臭いからゴキブリのくろだかりになった」とも言える。
しかし石左の記事を読んでいい気持ちになっているどうしようもない陰キャ君達はほんとにどうしようもないキモい奴でしかない。